中国新工場竣工式

皆さん、こんにちは‼

蒸し暑い日が続きますね。

お変わりないでしょうか?

暑い‥‥真夏と云えば‥‥‥私は夏の全国高校野球選手権大会を連想してしまいます。

夏の高校野球はホントいいものですね。

地方予選から速報をテレビで観る位、大好きです。

私自身、野球が好きだと云う事もありますし、野球を齧って(かじって)いたと云う事も要因としてありますが、それ以上に、高校生最後の夏‥‥‥負けたら終わり‥‥炎天下と云う過酷な状況‥‥そして甲子園を目標に血の滲む様な努力‥‥‥最後まで喰らいつく姿勢‥‥。

これまでの過程に思いを馳せ、決して諦めない、ひた向きな姿勢に心を打たれるのです。

中途半端な気持ちや姿勢では、感動やドラマが生まれる事はありません。

今年は大会創設100年目と云う節目の大会です。

長きに渡り‥‥今も変わらず、私達に感動を与え続けてくれる事の尊さ、そして先輩達が築いて来られた歴史の重みを感じながら、今年はどんな闘いが観られるのか?今からワクワクしている所です。

選手の皆さんには、これまで練習をして来た成果を全て出し切って、悔いの無い闘いを是非して欲しいものです!

感動と云いますと、先週末、久しぶりに中国へ行き感動を覚えた出来事がありました。

今回の訪中の目的は、中国新工場の竣工式に出席する為でした。

今まで、私達の中国工場は、連雲港市と云う所にありました。

これからの合理性、効率性、発展性、管理性、統治性を考えた時、青島市にある私達の協力会社と合併した方が望ましいと云う考えから、青島市に新たな工場を建設し、竣工の運びとなったのでした。

今後、約1年を掛けて生産を連雲港から青島へ移管して行く事になります。

元より、2007年からは自社連雲港工場の総経理(日本で云う社長)を、その青島の協力会社社長(中国の方)にお願いをしていましたので、既定路線ではあった訳ですが‥‥‥。

振り返りますと、2002年連雲港での中国工場設立当初から、様々な苦労を強いられたのを思い出します。

当時、弊社スタッフが中国に入り、工場を軌道に乗せるべく努力をしてくれていました。

しかし、そのスタッフ達も見知らぬ異国の地で、私以上に気苦労をしてくれてはいましたが、生産としては何とか間に合うものの、採算ベースとして見た時、中々軌道に乗らず結果が出ないと云う状態でした。

労働争議‥‥税関などからの金銭の要求‥‥旅費交通費や滞在費用などの経費‥‥スタッフ達が行く度に色々な事が起こり、軌道に乗る所か、お金が垂れ流しになる状況が約4年も続きました。

かと言って、私自身も数ヶ月間、本社を留守にして、中国に行くと云う状況にはありませんでした。

と云うのも丁度その頃、本社は本社で、創業事業の急激な落ち込みから、事業転換を余儀無くされ、私は本社を直ぐにでも採算ベースに乗せなくてはならず、日本を1日足りとも離れられない‥‥こちらも「待った無し」そんな状況だったのでした。

「このまま中国工場が垂れ流し状態では、本社にもかなりの影響が及んでしまう!しかし、主力事業の生産を中国工場でしている関係上、生産をストップし、撤退する訳には行かない‥‥‥どうすべきか?」随分と悩みましたが、最終的には二者択一まで方向性を絞り込みました。

一つは、今まで通り、日本人スタッフを中心に速やかに採算ベースに乗せる。

しかし、これは今までの経緯や中国事情からすると心許ない感じで、いつ軌道に乗るか?読めませんし、それまでお金が垂れ流しになっては、本社もより以上に疲弊してしまう事になってしまいます。

もう一つは、青島の協力会社社長に自社連雲港工場の経営権を全面譲渡する。

しかし、これは万一、任せて工場を乗っ取られたり、生産に支障をきたしたりした場合、本社コア事業の商品を中国工場で生産をしていましたので、本社業績の落ち込みは計り知れませんし、この策が失敗に終われば、相当な覚悟が必要になります。

行くも地獄‥‥引くも地獄‥‥正に正に「究極の選択」とはこの事です。

もう時間がありません。

決断の時が迫ります。

最終的に、坂本龍馬の「座して死を待つより、前のめりで死にたい」この言葉と、私の直感「青島の中国人社長は、裏表の無い誠実な男で、形にするスピードも早い。この男が引き受けてくれたら、絶対に上手く行く筈だ」この2つの観点から、青島の中国人社長に賭ける決断をしたのでした。

重い、重い‥‥決断でした。

結果は‥‥‥‥経営権を全面譲渡し、程なくすると、本社からのお金の流出は無くなりました。

即座にキャッシュフローベースに乗せてくれたのです。

無用に‥‥又は計算外のお金がキャッシュアウトし続けると云うのは、会社として危険極まりない状態なのです。

従って、会社は云うまでも無く、まずキャッシュフローを計画通りに進める‥‥‥そして、採算ベースに乗せる‥‥‥この順序が最も重要です。

これが遅れれば遅れる程、会社は危機的状況に陥ってしまいます。

彼は、想定以上に早くキャッシュフローベースに乗せてくれ、その後、生産性の向上、コストダウンも実現してくれました。

時間が無い状況で、期待以上の結果を残してくれた彼に本当に心より感謝しましたし、ひとまず胸を撫で下ろしました。

そして私もそれにより、本社業績を採算ベースに乗せる事だけに集中出来たのでした。

つくづく人生も仕事も1人では何も出来ないと思い知らされました。

「幾つか身体と時間が欲しい‥‥‥」と、当時は出来もしない事をよく考えたものです。

特に仕事は、社長1人では何も出来ず、野球では無いですが、それぞれのポジションを任せて、それに対して結果を出してくれる人達‥‥‥この様な人達のお陰で、チームが強くなり、そして勝てるチームになって行くものだと改めて思いました。

それから8年の歳月が流れ、彼は順調に自身の会社と共に業績を上げてくれ、今回、青島新工場は本社から、1円の出資も無く実現してくれました。

結果を積み上げて大きくなると、人は得てして、横柄になる傾向がありますが、彼は、今も変わらぬ誠意や姿勢を持って接してくれています。

本当に誠実で信頼出来る男です。

やはり、出会った時の直感に間違いはなかったと思っています。

その竣工式には、彼の人柄もあり、何百人もの人々が駆け付けてくれ、壮大な式典となりました。

駆け付けてくれた人達の中には、連雲港工場のスタッフ、その協力会社の社長達もおられました。

良く気の付く、段取りの出来る男です。

連雲港から青島まで車ですと、4時間位掛かるにも関わらず、皆んなで来てくれたのでした。

そして、竣工式の宴会が終わった後も、「晩の食事も一緒にしよう」と云う事で、わざわざ全員青島で1泊してくれ、久しぶりの再会を楽しむ事になりました。

嬉しい限りです。

楽しい時間は早く過ぎるもので、晩の大宴会も終わり、全員ホテルへ帰る為、車に乗り込みます。

私は見送る為、車に近づきますと、1人の男が私を見て涙ぐんでいました。

その彼は、連雲港工場のスタッフで会計責任者の男でした。

彼は1年先に連雲港工場から青島工場への生産移管が終了したあかつきには、青島工場に移らずに、身を引く事になっているそうです。

彼は50歳ですし、家族も家も連雲港にある事から、連雲港に残る事を自ら決断したとの事でした。

彼の涙ぐむ姿を見て、私も思わず貰い泣きをしていました。

私も彼も、恐らく思いは一緒だったと思います。

「これでもう会えないかもしれない‥‥‥本当に今までありがとうございました!お世話になりました!」‥‥お互いが表面上だけでは無く、本心でそう思えたのです。

思いを一つにして、愚痴も言わず、精一杯頑張ってくれました。

言葉は通じ無くても、そんな思いが分かるからお互い自然と涙が流れたのだと思います。

「一緒に仕事が出来て本当に良かった」‥‥そう思える感動がありました。

万感胸に迫る思いです。

私はしょっちゅう中国に行く訳でもありません。

中国語が出来る訳でもありません。

しかし、会う機会は少なくとも、コミュニケーションが上手く取れなくても、その連雲港工場のスタッフや青島の協力会社社長の態度や姿勢を見ると、思いは通じ合えるものだと確信出来ます。

この2人に共通する事は、本当に裏表が無く誠実で素直な人達‥‥信用して任された事‥‥それに対して愚痴一つ言わず、結果を出す事に一生懸命‥‥‥そしてそれは昔も今も変わらない‥‥‥と云う事です。

世の中には色々な人達が居ます。

日本人であったとしても、信用の出来ない、愚痴や不平不満、打算的な人達は沢山いるモノです。

会う機会も多く、通じる合える言葉があるにも関わらず‥‥‥。

人生も仕事も、心が通じ合う‥‥良い出会いが大事です。

そしてそう云う仲間達と、高校野球では無いですが、一つの目標に向かって、仕事はしたいものです。

異国の地にあって、心が通じ合える人達に出会えた事‥‥これは私にとって掛替えの無い財産となりました。

竣工式の間も‥‥晩餐会の時も、今までの出来事が走馬灯の様に頭を駆け巡る中、彼らの変わらぬ誠意に感動で心が揺さぶられる思いでした。

只々、感謝、感謝しかありません。

彼らと出会えて本当に良かった‥‥そう心から思えます。

是非いつか時間を作り、彼らと必ず再会を果たさなければならない‥‥との思いを新たにしたのでした。

そして‥‥‥‥‥私達は、その彼らの気持ちに報いる為にも、新工場を一つの契機として、気合いを入れ直し、心が通じ合う仲間と、更に高見を目指して頑張って行かなければならないと改めて決意をした次第です。

又、これから思いを一つに‥‥そして結果を求めて、皆んなで頑張って行きましょう‼

〜馬さん、江先生、郭会計士、駆け付けてくれた全ての人達‥‥‥そしてお世話になった全ての人達に‥‥‥謝謝‼〜