終戦記念日
皆さん、こんにちは!!
まぁ~暑い日が続きますね。
大阪では、先週の7日から、35度以上の猛暑日が続いているそうです。
観測史上最高は、16日連続だということですが、予報では今週も気温が下がらないとのことですので、このままいくと今年は、記録的な暑さになってしまうかもしれません。
週末まで盆休みという方々も多いことと思いますが、充分に鋭気を養って頂き、来週からの仕事に臨んで下さい。
さて、8月15日、私達は68回目の終戦記念日を迎えました。
戦争体験者が年々少なくなり、悲惨な戦争が、遠い遠い過去の様に………、そして、何か?他人事の様に……、風化しつつある現状がある様に思います。
かくゆう、私自身も反省をしなければなりません。
考えるに、この「お盆」という時期に、終戦記念日があるということも、何か?不思議な因果を感じます。
私達日本人にとって、「お盆」は特別な期間であると思うのです。
若い方々も含め、「故郷へ帰らなアカン」「親の顔を見に、実家へ帰らなアカン」「墓参りに行かんとアカン」という意識が、誰に教えられるとなく日本人の根底にあるのではないか?と思います。
それは、ご先祖が居られ、そして今の自分が存在する、そんな感謝と畏敬の念からなんだろうと考えます。
そして、その時期に終戦記念日もあります。
時代に翻弄され、何もわからないまま多くの国民は、純粋に、祖国の為、愛する人達の為に、決死の覚悟を持って戦わざるを得ませんでした。
その様な先人達の想いが、今の平和日本を誕生させ、私達は安心して暮らすことが出来ていると思います。
戦争を風化させるのではなく、そういった先人達の想いに、ご先祖同様、深い感謝と畏敬の念を持たなくてはならない、その為に、この時期に終戦記念日があると、つい考えてしまうのです。
誤解のない様に、お話しをさせて頂きたいと思いますが、上述は、先人達の「国や家族を思う想い」が尊いと私自身は考えていて、戦争を肯定するものでは決してありません。
私自身、戦争というものは次の様に考えています。
日本や世界の政治家、指導者達は、如何なる理由があったとしても、戦争は絶対に起こしてはならない、それは、その国民に対する反逆行為である、と考えています。
自分の勝手な都合だけで、暴力を持って解決するという考えには断じて迎合出来ません。
先の大戦で、どれだけ多くの罪なき国民の方々が犠牲になったことでしょう……。
これは、日本国内だけでなく、隣国をも巻き込んでしまい、世界各地で多くの罪なき人達が犠牲になってしまいました………。
政治家達の役割は、その国民の生命と財産を守ることにあるはずです。
自らが、国民の生命と財産を危険に晒す方向へ導くという行為は、言語道断です。
また、話しは変わりますが、この時期になると、いつも政治的問題になるのが、靖国神社の閣僚達の参拝問題です。
もう、何十年にもなります。
これは、中国や韓国は、参拝することによって、先の大戦を肯定しているのではないか?と考え抗議をするわけです。
日本政府は、戦争を肯定するものではなく、上述の様に先人達の想いに対して畏敬の念を抱き参拝しているだけだ、というわけです。
この堂々巡りを戦後、何十年も繰り返しているのです。
私は、これに関して以前から1つの考えを持っています。
靖国神社では、戦争に導いた責任があるであろうA級戦犯の方々と何もわからず、純粋に国や家族の為に、命を失った方々とが祀られています。
いわゆる、「合祀」です。
これが、話しをややこしくしています。
中国や韓国も、A級戦犯が祀られている靖国神社に参拝することに対して、戦争を肯定している様に見えてしまうわけです。
日本において、「合祀」というのは、亡くなられた方々は、全て神様なのだからという、宗教的な考え、心情に基づいています。
それらは、理解した上で、私は1つの考えとして、A級戦犯と一般国民を「分祀」する必要があると思っています。
今の憲法、法律では、「政教分離」によって、政治は宗教に介入が出来ないわけですが、政治家達の働き掛け如何では、靖国神社主導の基、実現は可能だろうと思います。
これは、今の日銀政策と同じです。
日銀もまた、政治が直接、介入出来ません。
今の安倍首相の意向を鑑み、日銀総裁主導の基、政府の方向性に沿った政策が展開されているわけです。
従って、靖国神社においても、安倍首相にその気持ちがあれば、「分祀」は可能なはずです。
当時の政治事情や時代の流れ、また、東京裁判の合法性など、今の政治家の皆さんには、A級戦犯の方々への配慮?というものがあるのかもしれません。
しかし、あれだけ多くの罪なき国民の命を奪った戦争へ導いてしまった責任は、非常に重く誰かが責任を取らなくてはなりません。
それが、100歩譲って図らずとも戦争になってしまったとしても、当時の指導者達は、責任を取らなければならない立場に居たわけです。
例えば、会社の場合、いくら優しい思いやりのある社長でも、会社を倒産させてしまえば、社員や関係者も含め、全ての人達を路頭に迷わすことになります。
その時、今までがどうであれ、倒産に導いてしまった全責任は、その時の社長にあるのです。
「あの人は、ええ人やった」と回りの人達は理解をしてくれたとしても、それだけで済まされる問題ではありません。
対外的な責任として、社長が全て責任を負わなければならないのです。
戦争においては、そんな会社の比ではないのです。
靖国神社の場合、当時の事情を知る日本の政治家達は身内のこととして、処理をしたいのかもわかりませんが、国民に対しても、そして対外的に対しても、その責任は、ハッキリさせなくてはならないのではないでしょうか?
戦争を起こしてしまった指導者達は、国賊であると。
従って、私見としては、中国や韓国の言っていることに一理あると思っています。
ドイツの場合、「ナチス」を完全に国民から切り離しています。
「あれは、ドイツ国民の感情とは関係なく、ヒトラーが強制的、強権的に進めたことだ………」と。
当然ながら、埋葬も一般国民とは、別です。
解りやすい話しです。
その後のドイツ政府は、ドイツ国民と「ナチス」を切り離し、新ドイツ政府として、隣国への戦後賠償を進め、現在ではドイツの隣国で、先の大戦の尾を引いて いる問題は殆どありません。
日本においても同様だったのではないでしょうか?
当時の指導者達によって、教育が歪められ、強制的、強権的に召集され、戦地へと赴かざるを得なく、尊い命が奪われてしまったのではないでしょうか?
私は、日本において、現在まで続いている靖国神社の「合祀」という形が、事を複雑にしている様に思えてなりません。
実は、私の家族は東京に居て、靖国神社もそんなに遠くはありません。
しかし、そんな理由から、外から手を合わすことはあるものの、まだ一度も靖国神社を参拝したことがありません。(余談ですが、鹿児島の知覧には機会があって二度行きました。もう……涙、涙です。今の時代の有り難さ、また当時の方々の無念と深い愛情を感じます……)
全ての先人達の想いは、「あの戦争はなんだったのか?」「あの悲惨な戦争を二度と繰り返してはならない」ということです。
何があっても戦争は起こしてはならないのです。
苦しむのは、指導者達じゃない…。
国民なのですから……。
だから、私は、敢えて様々な政治家達の心情、そして日本の宗教観を承知の上で、「分祀」を提言するのです。
この「分祀」をすることにより、中国や韓国も理解を示してくれるでしょうけれど、何も中国や韓国に対して体裁を取り繕う為だけに、言っているのではありません。
如何なる理由があったとしても、戦争に導いてしまった責任は重いものだと、政治家達には理解をして欲しいのです。
この「お盆」という時期に「終戦記念日」が存在するということは、先人達のメッセージだと思います。
私達にとって、ご先祖を思い、先人達を思い、そして、「二度と戦争を起こしてはならない」と国民1人1人が再認識をする、そんな期間なのかもしれません。
いつの世も、時代は、時の指導者達によって築かれて行きます。
日本に限らず、隣国、そして世界の指導者達は、責任と覚悟を持って戦争のない善き未来に導いて欲しいものです。
互いを尊重し、覚悟を持って、諦めず話し合えば必ず解り合えると信じています。
何故なら、私達は、宇宙から見ると、国境のない地球という同じ星に生まれ、人間という同じ民族、兄弟なのですから………。