無意識の思い込み

皆さん、こんにちは‼

今週、大阪は気温がグン〜と上がって、4月下旬の気候でした。

桜も満開となり、花見のシーズンですね。

私達の会社でも31日に花見と称しての呑み会を行いました。

桜も去る事ながら、皆んなで酒を酌み交わし、親睦を深める‥‥コミュニケーションを取る‥‥という事はやっぱり必要ですね。

桜が咲く時期はこの時しかありませんので、花見と称しての呑み会‥‥どんどんやってください!

さて、話は変わりますが、「心を育てる月刊誌」‥‥「ニューモラル」というものがあります。

公益財団法人モラロジー研究所から出版されていて、私も偶に読みます。

ニューモラルとは、人としての行いと共に、その基となる心の有り様(心づかい・考え方)を大切にするモラルという事だそうで、創刊以来、心豊かな人生、楽しい家庭、明るい職場、住みよい社会を創る為の心づかいと行いの有り様を提唱されています。

行動はその人の心(本音)を映す鏡である‥‥‥私達の会社のフィロソフィーにも記述していますが、その心の有り様を説かれているのが「ニューモラル」です。

先般、何気無く、その雑誌を読んでいますと、興味深い事が書かれていましたので、ご紹介させて頂きます。

タイトルは「思いやりと思い込み」です。

日頃、何かにつけイライラする事がありますよね。

私も反省をしなければなりませんが、皆さんもイライラする事は、しばしばあるのではないでしょうか?

その原因の最たるものは、「思い込み」にあると言われています。

私達は、「自分の思いと異なる他人の言動」に接すると、不平や不満を抱く事が多い様です。

どういう事かと言いますと、自身の心の中を冷静に見つめてみると、「‥‥こうあるべきだ」「‥‥この様にしてもらわなければならない」という思い込みがあり、それに対して、他人がそれとは異なる言動をとった時、イライラを募らせてしまうという事です。

例えば、自分自身が急いでいる時、目の前を横一例に若い人達が喋りながらゆっくりと歩いているとします‥‥‥‥又は、車に乗っている時、急いでいるにも関わらず、目の前の車がトロトロと走っていたとします‥‥‥‥‥こんな時、多くの方々は「どっちかに寄って道を空けてくれればいいのに‥‥」とか「マナーの悪い若者だなぁ」とか「もっと早く走ってくれればいいのに‥‥」‥‥‥こんなイライラを抱くのではないでしょうか?

もし‥‥‥自身に気持ちのゆとりがあったら考えも変わるかもしれません。

現代であれば、メールを送った時、いつまでも返信が来ないとヤキモキする場合がありますが、相手も忙しい状況、もしかすると、返信出来ない事情があるかもしれません。

この様に考えてみると、イライラの原因は、自身の都合や勝手な思い込みによる事が多く、自身の思う様になっていない他人の言動に接した時、相手の事情にまで思いを巡らせる余裕もなく、一方的にイライラしている様です。

一般的に言いますと、自身の都合だけで考えている心の有り様ですので、「自分勝手」とか「ワガママ」とか評されるのだと思います。

この様な心の本音で行動しますと、やはり、周りとぶつかってしまいますよね。

私見で申し訳ありませんが、この様な考えは、統計的に長男長女が多い気がします。

周りから甘やかされて育ったせいかもしれません。

かくゆう私も実は長男です。

恐らく、若い時は、今から思うと自分勝手でワガママだったと思います。

現在まで続く友人達が言うのだから、間違いないでしょう。

しかし、当時、自身が自分勝手だとか、ワガママだとか、自覚が全くありませんでした。

これが一番怖いですよね。

確かに、「こうあるべきだ」というのは人よりも多かったかもしれませんが‥‥‥‥‥。

これが多ければ思い込みが強くなる‥‥私同様、自覚のない人も沢山おられると思いますので、変な思い込みが多いか?否か?こんな基準で自身を図ってみてはどうでしょうか。

私自身、年を重ねる中で、多少の苦労ではありますが、身をもって体験して来ましたので、昔と比べると随分と丸くなった様です。

友人達も去る事ながら、久しぶりに会う人達からは、「随分と変わった」とか「丸くなった」とか、手前味噌で恐縮ですが「いい男になった」などと評価をして頂いています。

しかし、これも又、自覚が全くありません。

ただ、年を重ねる中で‥‥多少の苦労を積み重ねる中で、だんだん相手の立場になってものを考える‥‥‥いわゆる「思いやり」が多少、加わって来たのかもしれません。

「思いやり」は「優しさ」とは違い、相手の事を考えて行うものですので、相手にとっては耳の痛い事も言わなければならない時もありますが‥‥‥‥。

鑑みるに‥‥‥気がつくと、私生活においては、昔の様に「こうあるべきだ」という事は殆ど無くなっています。

家族、子どもといえども、友人・知人といえども、皆んなそれぞれの立場があり、それぞれ制約された現状の中で、それぞれの考えがあって、行動をしています。

今なら「そういう考えもあるのか」という様に、まず相手に寄り添った考えを持って、話をしている感じです。

又、何か揉めたりしていると「まあまあ、お互いにお互いの考えがあるのだから、まず尊重して話をしよう」とか、昔を知っている人達からすると考えられない言動をしている私がいます。

以前、地域でボランティアの会長を7年間させて頂いていました。

これも私にとってはいい経験でした。

その当時、私は「会に毎回出て来られなくても、会員登録をしてくれるだけで有り難い‥‥」とよく言ったものです。

会員の中には「自分達は毎回出てやっているのに出て来ないのはけしからん」と考える人達も多かったからです。

特にボランティアの場合、出たくても仕事の都合などで出られない‥‥家庭の事情で‥‥などもありますので、相手の立場を考え、その様に言ったのでした。

 

人が集まり、一つの方向性に向かって進む時、人によって出来る事や理解の温度差は必ず生じるものです。

会社も同様です。

 

会社の場合、全体を理解し方向性を示し行動するリーダー、何個かのプロセスを管理し自らも行動出来る人、1つのプロセスを管理・行動出来る人、何個かのタスクを管理・行動出来る人、1つのタスクを管理・行動出来る人、言われたタスクを出来る人、又、パートさんの様にフルタイムでは無く、限られた時間でタスクをこなしてくれる人‥‥‥という様に、その人なりのスキルと時間制約の中で、仕事をされています。

ここには当然、温度差はあるものです。

 

上述のボランティア活動も同様で、温度差を全て無くすというのは不可能で、それぞれの立場に、それぞれの制約があり、その中で出来る事をそれぞれが行ってくれればいい訳です。

恐らく、若かりし日の私であれば、会員の多くの方々が言われていた様に「私達がこれだけやっているのに、会員でありながら出て来ないのはけしからん」と言っていたかもしれません。

上述に習えば、「こうあるべきだ」という思い込みです。

これが強くなると、人々は集まらなくなっていた事でしょう。

 

あと大事な事は、全員が烏合の衆では組織は成り立ちませんので、私の考えややり方を理解して、寄り添ってくれるリーダーの方々がおられたというのも組織が大きくなった要因だと思います。

 

会社組織においても、社長の考えを理解し、推進してくれる中心的役割を果たす人物は必ず必要です。

その様な人達が数人おられれば、あとは、上述の様に、温度差はあるものの、それぞれの立場でそれぞれの結果を残してくれれば、組織としてはOKなのです。

 

上述のボランティア活動は最終的に会員登録が200名強、会長最後の日には、地域の方々も大勢集まって頂き、これ程、幸せを感じる瞬間はありませんでした。

やはり、思いやり精神は大事ですね。

 

 

 

情けは人の為ならず‥‥‥‥。

「思い込み」と「思いやり」‥‥‥。

思い込みは、無意識の内に自身の心に生じ、思いやりは、意識をしなければ出来ないもの‥‥‥

この様な事ではないか?と思います。

 

仕事という枠の中では、リーダーの様にやって頂かなければならない立場の人や、各担当やプロセス・タスクにもあるべき姿がありますので難しい面はありますが、1人の人間としては、思いやりを持って相手には接したいものです。