素敵な大人

皆さん、こんにちは‼

 

随分と暖かくなって来ましたね。

 

今週は日中、クーラーを少し入れてしまった日もありました。

 

週末に掛けて又、寒の戻りがある様ですが、

 

いよいよ春本番という所ですね。

 

 

春本番といいますと、この時期、高校野球におきましては、春の選抜高校野球大会が開催されています。

 

「センバツ」‥‥‥と聞くと「春が来たなぁ」と思われる方も多いのではないでしょうか?

 

 

それにしても、何故、人は高校野球に魅了される方が多いのでしょう?

 

 

彼らの純真さ‥‥ひた向きな姿勢‥‥諦めない気持ち‥‥仲間意識‥‥1発勝負‥‥礼儀‥‥規律‥‥努力の過程‥‥‥‥‥‥そして地元愛‥‥‥こんな事が私達を魅了するのかもしれません。

 

 

プロ野球も人々に勇気や希望・感動を与えるものだとは思いますが、高校野球からすると、その純真さやひた向きさが希薄になっている感は否めません。

 

 

特に昨今、相次ぐ不祥事が発覚し、人々に感動を与える‥‥という事からは程遠い感じです。

 

 

社会と関わって行く以上、又それに期待をして頂いている方がおられる以上、全ての組織やチームは「かくあるべき」ではないか?と考えます。

 

 

企業もその例外ではありません。

 

 

しかし、とは言うものの、人は大人になるに連れ、どこからか?純真さやひた向きさを忘れて行くものかもしれませんね。

 

 

考えるに、その理由として、大人になるという事は、仕事においても、人生においても、失敗の経験が積み重なってしまう事‥‥‥が側面であるのではないか?と思っています。

 

 

そうなると、「これをすると失敗するなぁ〜」とか「これ以上やっても無駄やな」とか‥‥‥諦めの気持ちや邪魔臭さが先に立ち、次の1歩が踏み出しにくくなるのではないでしょうか?

 

 

従って、やらない理由や出来ない理由が口を吐き、純真さやひた向きさというものが失われて行くのではないか?と思うのです。

 

 

素敵な大人になる為には、大人としての経験を積み重ねながら、いつまでも少年の様な純真な心を持っている‥‥‥‥こんな事ではないか?と思います。

 

 

失敗の経験を踏まえ、そこで諦めるのではなく、失敗しない為の新たな方法を見出し、それにチャレンジをし続ける‥‥‥‥こうする事で、いつまでも少年の様に純真さやひた向きさが失われずに済むのではないか?と考えています。

 

 

上述の高校球児は、ゲームセットの瞬間まで諦める事をしません。

 

 

その瞬間、最後の瞬間においてまで、一生懸命・一心不乱です。

 

 

そんなひた向きなプレーに私達は釘付けになり、感動を覚えるのでしょう。

 

 

私達大人も、そんな気持ちでその日その日を、ひた向きに過ごしたいものです。

 

 

禅用語に「而今(にこん)」という言葉があります。

 

 

その意味は、過ぎ去った時、この瞬間は二度と戻って来ない‥‥‥という事です。

 

 

絶対の生命というものは、今この時をおいて他にありません。

 

次の瞬間にでも、その命が終わるかもしれません。

 

未来に向かって永遠と命がある訳ではありませんので、今この瞬間を大切にしなければならないという事だそうです。

 

 

また、「不安」‥‥‥という言葉があります。

 

この不安という気持ちは誰しもが、時に抱く時があるでしょう!

 

 

私も同様です。

 

 

しかし、不安というものは全て未来の産物です!

 

 

「老後が心配‥‥‥」「子どもの成長が‥‥‥」「就職が‥‥‥」「お金が‥‥‥」仕事で言えば、「売上げが‥‥利益が‥‥‥」などなど、全てまだ来ぬ未来に対しての不安です‥‥‥‥‥このままだったらどうなってしまうんだろう?そんな未来を想像して‥‥だから今が不安‥‥‥こんな事ではないでしょうか?

 

 

私もまだまだ達観をしていませんので、様々な事象に対して不安が募る時があります。

 

 

考えて考えて、いつも行き着く答えは原点回帰です。「いくら不安がっていても行動をしない限り、何も解決出来る訳ではない!まず情報を収集し、精度の高い現状を把握し、そしてその解決に向かって今、何を為すべきか?それに集中をするんだ!そしてそれに向かってチャレンジをするんだ」と自分自身に言い聞かせ、自分自身を鼓舞し、目の前の「為すべき事」に向かう様にしています。

 

 

一方で「希望」‥‥‥という言葉があります。

 

この希望も又、不安と同様に未来の産物です!

 

 

決して人は、「過去」に対して、不安や希望を抱く事は無いですよね。

 

 

過ぎ去った過去だから‥‥‥‥‥。

 

 

従ってこの考え方は、原理原則‥‥道理であり不変のものです。

 

 

同じ、まだ来ぬ未来なら‥‥‥不安を排除して、希望を持って、今を大切に生きる‥‥‥この方がいいじゃないですか!

 

 

ちょっと矛盾している‥‥‥?

 

 

この様に思われる方もおられるかもしれません。

 

 

而今とは‥‥‥二度と来ない今を大切にしなさい‥‥という事でした。

 

 

未来の不安に対して‥‥‥‥?

 

未来の希望に対して‥‥‥‥?

 

 

未来‥‥‥‥‥?

 

 

これは矛盾をしている訳ではありません。

 

 

禅僧曰く、「人は夢を持たなくてはなりません。その夢に向かった今を大切にしなければならないのです。何故なら絶対の生命は今をおいて他に存在しないからです。決して場当たりではいけない。それを而今とは言いません。夢や目標を持ち、その方向に向かった今で無くては生きる意味が存在しないのです。命が尽きる瞬間は誰しも知り得ない事です。

 

その命の尽きる瞬間まで、自身の夢に向かった今を大切に生きなければならない‥‥これが生きるという事であり、而今の真意です」‥‥‥‥‥‥と。

 

高校球児達は、ゲームセット‥‥最後の瞬間まで、「勝利」という目標に向かって、今その時を全力で戦っています。

 

正に‥‥而今ですね。

 

話は余談になりますが、今を大切にし、即時、行動に繋がる気持ちの有り様として、私は次の4つがあると考えています。

 

 

①やらされている

 

②やらなければならない

 

③為さなければならない

 

④やりたい

 

 

当然ながら下に行けば行く程、自発的に行動に移ります。

 

 

課題や問題や不安を取り除く為には、「為すべき事」を、まず、しなくてはなりません。

 

 

「やりたい事」を出来る環境を整え、そして希望に胸を膨らませ、自分達が「やりたい事」にどんどんチャレンジをして行く‥‥‥こういう事だろうと思います。

 

 

「言うは易し行うは難し」‥‥ですが、上述の考え方‥‥「希望も不安も過去には無く、未来に対してのみ存在する」‥‥この道理を意識するだけで、自身の気持ちの持ち様が、速やかに‥前向きにアジャストされる様になると思います。

 

 

因みに、上述の「夢」という言葉も禅用語の1つです。

 

 

最後に詩をご紹介します。

 

 

夢がある者には、目標がある。

 

目標がある者には、計画がある。

 

計画がある者には、行動がある。

 

行動がある者には、反省がある。

 

反省がある者には、進歩がある。

 

進歩がある者には、夢がある。

 

 

甘いも酸いも経験した大人が、純真な気持ちを持って、また新たな事に対して、ひた向きにチャレンジをしている‥‥‥格好いいじゃありませんか!

 

皆さん、素敵な大人を目指して頑張りましょう‼